自己紹介

COME

コミュニケーションとノウハウで、あなたはどんなものでも誰に対してでも売ることが出来るを体現して頂くことをモットーにしておりますズルいビジネスコミュニケーション伝道師COMEです。

私はコンサルタントとして10年、様々な企業にて多種多様な業態の改善に取り組んできました。

今でこそコミュニケーション専門と言っておりますが、コンサルタントとして働き始めた時は、まともに人と話すことなど全くできませんでした。

私はコミュニケーションが大の苦手でした。当時は存在してなかった言葉ですが、今思えば完全にコミュ障だったと思います。人とどうやって話せばいいのかも正直よくわかってなかったですし、それこそ話しのスタートはどう切り出せばよいのかなどを悩み続けていました。

コミュニケーションが苦手だった原因は、私の育ってきた環境にありました。

私は一人っ子で、両親は共に自営業を営んでおり家にはほとんどいなかったので、私は与えられたゲームをするだけで人と話すという環境がありませんでした。幼稚園も両親の都合で年中からのスタートだったため、周りに馴染めず友達も出来ませんでした。

小学生になってからも、人とどうやって話せばいいのかわからないので必然的に友達は出来ず、そのかわりというのはおかしいですがいじめの対象になっておりました。小学2年の時、あざだらけで帰宅したら父親から一言「勝敗は?」と聞かれ「負けた」と伝えると、そのまま引っ張られて空手を習うようになりました。取りつかれたように毎日通い続けたおかげで、型では賞をもらえるようになりましたが、組手に関してはからっきしでした。

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余談ですが、私は下半身が変に太く、ガンダムで言うところのドムのような身体つきをしているのですが、原因はこの当時に踏み込みすぎたことだと今でも強く思っております。

空手を習ってからいじめはなくなったのですが、逆にいじめっ子の仲間という誤解が生じ、他の子と仲良くすることは最後まで出来ませんでした。唯一、数少ない友達と遊んだ記憶は、当時流行っていたビックリマンチョコを渡すことで遊んでもらっていたことです。当然、シールを抜いてチョコを食べ終わる時間だけしか一緒に遊んでもらえなかったのですが、私にはそれで精一杯でした。

小学校6年の時に、このまま公立に進めば全く同じ人間しかいないのでまた3年間同じように無駄に過ごしてしまうと思い、意を決して両親に私立中学の受験を提案しました。

ただただ環境を変えたいがための受験。しかも思いつき。受験勉強など全くしていない私は偏差値50ほどの中学2校に挑むも撃沈。当たり前の話だ。周りは将来を見据えて今まで努力してきた人間、私はただ逃げたかっただけなのだから受かるはずがない。最後の1校の後期試験に落ちれば必然的に公立になる。半ば諦めで最後の受験に臨んだところ・・・まさかの合格!捨てる神あれば拾う神ありだ、これでバラ色の人生のスタートが出来るとその時は思っていました。

だがやはり環境を変えるだけでは、人間の根本は大きく変わらず中学、高校と数人のゲーム仲間が出来ただけでした。

浮いた話などあるはずもない。

もちろん!思春期真っ只中の少年ですから気になる子はいましたが、自分から話をする前に他の人間から頼んでもいない代理告白をされ、挙句の果てに本人からではなく勝手に代理告白した人間から振られたことを告げられるという今思い出しても・・・くそったれな人生でした。

コミュニケーションがとれない自分が本当に恥ずかしく、また情けなく思い、更に人と話さなくなりました。

大学ではほぼバイトとスロットの2択の生活で、バイトは引っ越しと建築現場での丁稚のため、これまた人と話すことはなく、スロットなどは台と向き合っているだけです。もちろんコミュニケーションが育まれることなどありえません

いざ就職活動を始めるが、当時は就職超氷河期と言われており就職出来ない人だらけだった。そんな中、幸いにも私は早々に内定していた・・・超絶ブラックの金融系に。

営業として活動するにあたり資格が必要のため、約2か月間の合宿研修が実施された。寝食を2か月も共にするのならば、親友(とも)と呼べる人間に出会えるかと期待したが、仲良しこよしでは営業は務まらない!周りは全員ライバルだ!と懇々と刷り込まれることで、ほとんど話すこともない収容所のような2か月を過ごした。もちろんコミュニケーション能力などつくはずもなかった。

資格取得後、営業が始まると1週間もたたずに新規契約が!しかも大口。私は瞬く間にスターの扱いに、そして生まれて初めて当たるスポットライトに酔いしれていました。

だが有頂天の時には、必ず魔が差すものである。

その後の3ヵ月間全く契約がとれない状況に陥っていた。当たり前の話だ・・・コミュニケーションがとれない人間がコンスタントに契約できるはずがなかった。

上司からの叱責、同僚からの嘲笑に耐えれずやめようと思ったが思いとどまった。理由は相場の面白さを知ってしまっていたからだ。それからも相変わらず契約は出来なかった。

ただ毎週、新聞とチャートを見て自分なりの展望を作成し上長に提出していたところ、営業からなぜか超大口顧客専門のドライバーという業務に変わった。周りからは嘲笑われたが、正直ホッとしていた。もはや営業に楽しさを1ミリも感じていなかったからだ。

ドライバーという仕事は以外にも楽しく、普通に生きているだけでは訪れることができないような場所や経験をさせて頂くことが出来ました。また富裕層の人間の考え方に日々ふれることで、自分の中で何かが大きく変わり始めていることにに気づきました。この気づきが後にコミュニケーションスキルを向上させる大きな要因となる。

それから数か月後、ある思いを胸に退職いたしました。その思いとは人と直接関わる仕事、コミュニケーションが絶対に必要な仕事がしたいという思いでした。

それはドライバーとして、様々な超が付く富裕層の方々にふれることで得た気づきを基に自分自身と向き合った結果でした。

退職後、半年間のフリーター生活を経て、念願であったコンサルティング企業へ転職いたしました。

ここから冒頭でお話しましたコンサルタントとしてのスタートとなるのですが、最初の1年間はもうはっきり言いまして、ウンココンサルタントでした。ブログで詳しく記載させて頂きますが、端的に言いますと師匠から鼻っ柱をバッキバキにへし折られて性根を叩き直されたことで大きく変わり始めます。

ここが私のターニングポイントとなりました。

自分が思っているよりもコミュニケーションって簡単なんだと思うことが出来、それが自信となり、営業成果もどんどん出てくるようになりました。

営業に自信をもったことで、今度は自身のみでどこまで出来るかの挑戦がしたくなり、あるメーカーに転職します。そこでも、いち会社員であるにも関わらず、5年間で個人売上を5千万から3億2千万まで伸ばすことが出来たが、この会社は歩合が付くような会社ではなかった。そこに関しては自身の調査不足もあったが、あまりにも阿呆くさいのでそれなら自分でビジネスを起こそうと決めました。

私が師匠から教えられたコミュニケーション術やノウハウのことを隠すことなく、盛ることなく、そのままお伝えすることで1人でも多くの方が営業の悩みから解放されれば幸いです。私のノウハウとコミュニケーションが合わされば物凄い力になるということをご理解頂ける自信があります。

また、コミュニケーションの持つ力は無限です。これを手に入れれば、あなたはどんなものでも誰に対してでも売れるようになります。

最後にもう一度、もしあなたが営業で悩まれているならば少しでも力になれればと思います。

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